東海道53次A

1品川〜生麦

最初の宿は品川宿、2つ目の宿は川崎宿
都会に近く、面影はあまり残っていません
案内板・解説版や碑はたくさんあります

1品川 ⇒ 鈴ヶ森 ⇒ 多摩川 ⇒ 2川崎 ⇒ 市場 ⇒ 生麦



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1つめの宿場、品川宿が
この辺り(品川駅)から始まります
なまこ塀の公衆トイレ
とてもきれいでした
地図や記念碑は充実しています 問答河岸跡
徳川家光と沢庵とが問答したところ
家光「海近くして東(遠)海寺とは
是如何」
沢庵「大軍を率いて将(小)軍と
謂うが如し」
土蔵相模跡
旅籠「相模屋」ですが、土蔵のような
なまこ塀だったので呼ばれた
英国公使館建設に反対して焼き討ち
をかけるとき密議をしたところ
品海公園
日本橋から二里の道標があります
もう二里も来たんだ
でも、まだ、一二二里あるぞ
これが旧街道、品川宿
当時の面影はほとんど残っていません
やはり都会に近すぎるからか
でも、道幅だけは当時のままだとか
宿場はほぼ一里あります
本陣跡もこの看板だけ
本陣はもともと2軒ありました
目黒川に架かる品川橋 妙国寺の山門
浜川橋 通称涙橋
処刑される罪人の家族が
ひそかに見送りにきた
鈴ヶ森刑場跡
ここでその処刑が行われました
多摩川を越えました
東京から神奈川へ入りました
ここから川崎宿 2つめの宿場
都会の旧街道
面影は少ないです
宗三寺
飯盛り女の供養塔もあります
本陣跡です
京入口 宿場はここまで
関札のレプリカや案内図もあります
市場一里塚跡 日本橋より五里
鶴見橋関門旧蹟の碑
幕末、横浜港開港のときに設け
られた関門
生麦事件の碑
幕末、島津久光の行列の前を、
英国人が横切り、藩士が切り捨てた

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